就職氷河期だった同年代の独身者は引きこもりがちで、孤独死予備軍も多くいるとされている。
そういう男性が読書会に参加することで、社会との繋がり=居場所ができ、
「もう、僕は孤独死する心配はありません」
と言っている“いい話”がある。
他人との接触を避けてきたが、読書会とそこから派生したいろいろな旅行や飲み会などのイベントに参加することで、徐々に「自分はこの場所にいていいんだ」という安心感が得られたのだろう。
しかし、「だからやっぱり何でもいいから家にこもるのは止めて、外に出よう。仲間を作ろう」という単純な話ではない。
他人と接触する機会が減り、独りでいる期間が長くなると、つきあい方の距離感とか、「こういうことを言ったら気分を害するんじゃないか」という感覚が多分、鈍る。
なので、この人も読書会に加わり始めた頃は、他の参加者から「彼と同じグループは避けたい」という希望があったり、その日は参加者が少なかったりしたそうだ。
そんな中で、この読書会の発起人が、1年近く、この「彼」に寄り添い、「こちらからは排除しない」という信念で粘り強く、凝り固まった「彼」のわだかまりをほぐしていき、徐々に普通のコミュニケーションが可能になったというのだ。
つまりこのリーダーがなければ、このように打ち解けるのは難しかったかもしれない。
このエピソードはいろいろ考えさせられるが、僕自身も以前は今で言う「コミュ障」で、大学のクラスに馴染めなかったこと、今から考えるとかなり面倒くさい奴だったのを、部活の先輩が同じように、気長に受け入れてくれたんだなと、理解した。
もしかして、いくつか歯車がずれていたら、自分も孤独死予備軍になっていたのかもしれないし、やっぱり、これはかなり身近な問題かもしれない。
(文中意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である。)
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