最近(医者の間で)話題になっている大学病院の無給医局員問題。
それなりの臨床経験がある医者が、無給で働くというシステムはありえないと思うが、もともとはそれなりの合理性があったのだろう。
つまり給料が出なくても、知的好奇心を満足させられる、あるいは臨床能力を高められる経験が得られるというものだったのではないだろうか。たとえば、
大学でしか見ることないような希少疾患の患者さんが集まっている。
外科系であれば、大学でしかできないような難手術(と術前後の管理)を学べる。
ということはあったと思われる。
(本人の希望で)勉強させてもらっているので、報酬はなく、ポジションも不安定。
生活に関してはアルバイトでなんとかする。
その結果を論文の形にして発表するなりして、それが値するものであれば学位(博士号)にもなったのだろう。
給与が発生しない労働力が勝手に供給されるのだから、(大学)病院の事務サイドとしては、こんな都合の良いことはないだろう。
そのうち、無給医局員の存在を前提にしたシステムができあがってしまい、また学位についても知的好奇心の結果で得られるものではなく、手に入れるために大学院に入るなり、病棟医としてお礼奉公する対象になってしまったのではないだろうか。
しかし、いまどき大学病院でしか目にしないような疾患はかなり限られており、むしろ甲状腺専門とか、心臓手術専門、癌専門といった病院の方が、多くの患者さんが集まってくる分、その臓器・領域の特殊な疾患を目にすることが多いかもしれない。
また、大学教授が一番手術が上手いという神話も、もはや誰も信じていないだろう。
(手術が上手な教授ももちろんいます。)
脳外科でいえば、耳鼻科・眼科・形成外科合同手術や、てんかんの頭蓋内電極留置(術後の持続脳波モニタリングが必要)などの一部手術以外は、地方の単科病院でも大体の手術はできるようになっている。
学位についても、一部の大学では医局の求心力?を維持するためだけの紙切れになってしまっていると聞く。
その結果、さまざまな学問分野で最も価値が低い博士号という不名誉な称号までつけられている始末。
そして、そんな学位よりも専門医や、技術認定医に価値をおく医者も増えている。
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もちろん動物実験や新しい医療機器の開発などが必要な臨床研究・基礎研究は大学でないと難しい部分も多い。
また国公立の大病院の方が、設備は優れていることが多く、そこはまだまだ魅力的だ。
しかし、それでけでは多くの医師を集められない時代になったということだと思う。
正直なところ、特に働きやすさという点で、大学病院は残念な部分が多い。
特に、コメディカルの働きぶりに関しては、どうしても親方日の丸の国立病院より、失職リスクのある市中病院の方が優れているように思う。
市中病院では医療事務の方がしてくれるような仕事でさえ、医者がやらざるを得ないようなことが非常に多く、生産性がとても低い。
ぱっと考えても、大学病院で無給、あるいは最低賃金で医者を雇い続けられる時代ではないようだ。
(文中意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である。)
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