カナダで移植の研究をされている若手医師(Twitter アカウント 雑草外科医 @multitransplant 後藤徹 氏)
医学部生のころから正規の授業以外に、研究室で動物実験を行ったり、その結果を海外で発表されたりと戦略的に過ごされていたようだ。
現在も、(あくまでTwitterで彼自身が発している情報によれば、だが) 教室で信頼を勝ち得て活躍されているとのこと。
正直、学生の頃は、部活とプライベートに熱中していた身としては、少し嫉妬も混じった尊敬の念を抱いている。
そんな彼が、また学部生を煽るようなTweetをして、その内容を批判するRTが医者からも結構支持されている。
確かに「外科医になろうと思うなら、これくらいやれ」と解釈すると、
「自分は無理そうだな。外科は止めておこう」という人もいるだろう。
しかし、外科医のほとんどは(脳外科医もだが)
「なにより手術で病気の人を救いたい」という人が志望する科だし、
「同じなるなら上手な外科医に」
「ブラックジャックみたいな天才外科医になりたい」
と、無邪気に思う人が来るところな気がする。
内科にしても、たとえばDr. House (米ドラマ)のような診断のプロへの憧れがあったりするのではないだろうか。
そういう憧れの対象になるような医者、少なくとも外科医には、どうしても何かを犠牲にして臨床に集中する時期が必要なのだと思う。
「出た、老害が!」と思われるかもしれない。
しかし、脳外科でいえばTVにも出てくる福島孝徳先生は三井記念病院時代には、手術が必要な患者さんがいれば手術道具を持って出かけていき、年間900件手術をしていたらしいし、プライベートなんてあまり無かっただろう。
(当時三井記念病院でいっしょに働いていた森田明夫師匠談)
(自分を並べて書くのはおこがましいが、会津若松の病院に住んでいたような3年間は、本当に臨床医として鍛えられたし、人生の宝物だと思っている)
今の価値観で、そのような仕事の仕方は労基署的に許容されないし、特にレジデントは就業時間の縛りが強くなっている。
海外の一般外科の話はJAMA Surgeryの記事に目を通す程度だが、アメリカでも「『5時になったら帰らなければならない」時代に、どのようなプログラムを作るか』というのは、しばしば取り上げられている。
自分が医者になった2000年代初頭と比べると、電子カルテ、画像ビューワー、PHSなどによって業務はずっと効率化されているし、他の施設の手術ビデオも格段に手に入りやすくなっている。
とはいえ外科は、医者の手で行う治療であり、芸事でもある。
どうしても時間がかかるし、キモのところは師匠のそばで体感するしかない部分がある。
そのうちARやVRで置き換えられる部分はあるのだろうが、患者さんの命、あるいは人生がかかったキモの部分の感覚を伝えることができるようになるのだろうか?
そういう意味で外科はやはり大変だし、アメリカのような高給でもないので、志望者が減っていくのも仕方ないかもしれない。
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上記のTweetについては、雑草外科医 氏はまだ修行中?の方なので、「憧れの対象」としてどうなのかというツッコミはあるが、是非 ex vivo machine perfusionの技術を持ち帰って欲しいと応援しています。
(文中意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である。)
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