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論文を書く理由

執筆者の写真: 木村 俊運 @ 日本赤十字社医療センター木村 俊運 @ 日本赤十字社医療センター

更新日:2018年9月17日

恥ずかしい話だが、前職(NTT関東病院)に赴任する2006年まで、症例報告も含めて1本も論文というものを書かないでいた。


学術的なことは不要、neuro-carpenter(脳の大工)で良いと考える向きもあるだろうし、自分もかなりそう思っていた。


元上司に会うたびに「1本でも書いてれば今後に期待もできるが、ゼロは何年経ってもゼロだからなあ」と呆れられていた。

いまから考えれば、いろいろな手術を経験させてもらっていたので、報告するネタはあっただろう。


若いドクターの役に立つのではないかと思うので、(小ネタでも)論文を書く、もしくは書いてもらうように促すようになった経緯をここで書いておく。



それは、いい年して業績欄が空欄で、結構恥ずかしい思いをしたためである。


具体的には、Barrow Neurological Institute (BNI) @ Fenix, AlizonaにRF Spetzler先生の手術を見学に行ったのだが、見学するにあたり履歴書(CV)を提出する必要があった。

ま、見学者が世界中から訪れる病院なので、身元を調査しているということだろう。


BNI, Spetzler, 脳神経外科
Barrow Neurological Institute (2009)

そこにpaper work欄がしっかりあったのである。


日本でも大学によっては、博士号を得るまでは主要な手術はやらせないというところもあるようだが、海外でもある程度(?)のpaper workがないと、ポジションが得られず、手術もさせてもらえないのだ。


もちろん論文を書く能力と、手術の巧拙は関係が無い(多分)。

(researchの能力が優れていて、手術が上手い外科医もいるが、そうでないのもいるという意味)


別に職を求めて行った訳ではないが、多くのBNIに職を求める見学者がいる中で、ゼロはやっぱり恥ずかしいと思ったのだった。


*******************


最近は、脳外科手術を少しでも簡単にできれば合併症を減らすことに繋がると思っている。


自分だけやっていても自己満足に過ぎないし、自分が手術で関われる患者さんの数なんて所詮、数千人程度なのだから、論文の形で広く伝えることで、手術合併症を減らして、世の中に貢献できればと考えている


救急病院なのに論文ばかり書いていて「ヒマなの?」「ちゃんと手術している外科医なの?」と思われるリスクはある。


ただ、症例報告レベルの話であれば、退院サマリを書く程度のことであり、考察にしても科内での術前検討をほぼそのまま文章にすればいいだけというのが分かってきた。

(カンファレンスでそういう議論がなされていることが前提)


1件1件の手術もルーチンのように見えて、やっぱり違っているので、その"気づき"をきちんと記録しておくことで (ビデオ編集同様) 記憶への定着も改善されるし、こういった記録の断片を繋げていけば、case seriesくらいにはなるものです。


(文中意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である。)

 

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