患者さんの希望で手術しました…(?)
- 木村 俊運 @ 日本赤十字社医療センター

- 6月14日
- 読了時間: 3分
更新日:4 日前
ご高齢の方の脳出血や、間に合っているかどうか微妙な血栓回収療法など、「治療するかどうか」の判断が分かれる、判断に悩むことがあります。
"治療するかどうか"、は治療適応があるかどうか、ということですが、およその目安としては、例えば脳卒中ガイドラインのようなガイドラインがあります。
(このガイドラインは曲者で、裁判などでこれを根拠に主張される、ということがあるようですが、それはまた別の問題として.)
で、その治療適応が微妙なケースを若い先生がカンファレンスで説明する際に、上記の台詞がしばしば出てきます。
「患者さん(もしくはご家族)が希望したのでやりました」
この言葉を聞く度に、自分としては少し、苦々しく思ったり、げんなりしたりします。
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治療によってどの程度の改善が期待できるのか。
治療しなければどうなるのか。
このタイミングで介入した場合、患者さんはどのような経過・生活を辿るのか。
こうした見通しを、自分の中で明確に持っていたのかどうか。
そこを問いたくなるのです。
もちろん、目の前の患者さんがどれくらい良くなるか、の判断には経験が必要ですし、特に都会の急性期病院しか働いたことがないと、転院していった人がどうなっているか、なんて知らない医者も多いのが実情だと思います。
しかし、患者や家族の希望を尊重することと、医師として治療の妥当性を判断する責任は別の話です。
希望だけを理由に治療方針を決めるのは、医師の責任を十分に果たしているとは言い難いのではないでしょうか。
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横道に逸れますが、日本の医者のシステムでは、研修医(前期研修)が終わった後、専門の科に進んで、専門医という資格を得るような仕組みになっています。(必ず取らないといけないわけではありません)
いろいろパワーバランスがあるのだとは思いますが、脳神経外科というのは、内科や外科、産婦人科、精神科と並んで基本診療科の一つとなっています。
これは心臓外科や形成外科が、外科(一般外科)専門医を取ってからでないと、専門医資格を得られないことを考えると、若干、奇異に思われます。
しかし、いちおうの立て付けとしては、脳外科は頭痛などの身体症状、てんかんという数が多い疾患をカバーしているし、一般的にはそれなりの全身管理ができるから、みたいな理由だと思います。
ただ、それだけではなく、 脳外科は患者さんの人生を大きく左右する診断・治療を担うため、その判断力・責任感を養うことが基本診療科の要件に含まれている と私は思っています。
「患者さんの希望で治療しました」というのは、そういう責任を放棄している台詞のように思えるのです。
医師は単なる“販売員”ではないのだから、求められた治療をそのまま提供するのではなく、本当に必要なものを見極め、説明し、提案する、場合によっては説得する姿勢が求められると思います。
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極論かもしれないが、「自分がやるべきだと思ったからやった」のほうが筋が通る
患者側からすると刺激的に感じるかもしれませんが、それでも私は、
「自分の判断として、この治療を行う価値があると思ったから実施した」
という説明のほうが、はるかに誠実で筋が通っていると感じます。
自分が学んできた医学、自分の技術、これまでの経験や価値観を総動員して下した判断であれば、たとえ結果が思わしくなくても、そこから学び、次につながるはずです。
(もちろん、適応が明らかにない治療を行う医師を見かけることは、実際ほとんどありません。そんな医師は本当に向いていないという話になります。)
難しい試験を経て医師となり、日々技術と判断力を磨いているのはそのためのはずです。
(文中意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である。)


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